20代新卒で葬儀屋さんに入社→その後1年目で指定難病にかかり入院→3年7ヶ月葬儀屋さんとして働く→転職をきっかけにひとり暮らしで貯蓄に目覚め→転職で適応障害→再就職しながらお茶屋を開業
店主のこれまでのあらすじ
将来の夢
小さい頃のあなたの将来の夢はなんですか?
いきなり言われて思い出してみると、スポーツ選手やケーキ屋さん… 職業ではなくても尊敬する人など少なからずあったはずだ。
自分という大きい世界の中で小さい世の中を体験して、
将来自分自身がなりたいことを疑わずに堂々と発言していたのが子供だ。
そうだ私もなにかなりたいものがあって堂々と話せたかというと実はそうでもなかったらしい。
少しづつ私の生い立ちから話していければと思う
本当は結婚式場で働きたかった
何をかくそう私は結婚式のウェディングプランナーになりたかったのだ。
自称進学校通ったのにも関わらず、進学先は大学に行かずに結婚式を学べる専門学校に通う。
なんで結婚式場だって?
1つ質問したい
あなたの10年前の今日何をしていまいしたか?
ほとんどの人は答えられないはずだ。
しかし結婚記念日で10年前の今日に挙式をあげていたなら
しっかりと10年前の話ができるかもしれない
最高の1日、何年立ってもその1日のことを昨日のことのように話せるなんて他にあるだろうか。
そんな素敵な1日をお手伝いできる仕事に興味を持ったのがはじまりだった。
自身の性格と結婚式の雰囲気
そう、結婚式のバイトをして
理想と現実は違うってまさにこういうことなんだって感じた
コミュニケーションも人なりにできるし人付き合いだって苦手じゃない
一番出来なかったことは、「常にハイテンション」と「笑顔」をキープすることだ
みまとは”まれに”ハイテンションだったらしい ドラクエかよ
どうしても人前にでて一瞬は笑顔になれてもどうしても
仕事に熱中すると真顔になってしまうらしい
「お客様の前では常に笑顔で」この言葉が今でも最高に嫌いだ
今思えば、この言葉を使わない職場に行きたいと思ったのが
葬儀の仕事をしたいと思ったきっかけ
になったのかもしれない。
ついに葬儀屋になる
結婚式場だけは絶対に働きたくないと考えた
しかし、皮肉なことに就活前に自身にあるのは結婚式の知識のみ
ましては親にお金を出してもらって専門学校に行った手前多少は
学んだことをしっかり活かせるところに就職しなくてはと考えた
とても真面目な学生だったのである
そこで私は持てる頭をフル回転させえて考えた結果が
「冠婚葬祭業の両方やっている企業に入ればいいのか!」
という結論にいたった
葬儀屋さんも大切な人をおくる大切な1日であるので
この1日をお手伝いしてみたいと思ったのである。
お待たせいたしました
ついに私、葬儀屋さんになる
要するに私のプランでは
1.就活時は結婚式の知識を十分に発揮して内定をもらう
2.研修時に結婚式場と葬儀場の両方研修があるので葬儀の方でアピール
3.葬儀場に配属
というプランを考えた。
読んでるだけだと簡単にいくのか??と思うだろうが
私はやるときはやるんですよ!
その後、無事に冠婚葬祭の事業をやっている企業に内定をもらう
入社後、正式に配属希望を出して無事に葬祭部に配属される
若くして潰瘍性大腸炎という難病に
入社1年目の冬の出来事
手探りながら一生懸命、葬儀の仕事をこなしていった
ふと、トイレの回数が増えていく
最初はただの下痢だと思っていた
「変なもの食べたっけなー」という程度のものだった
しかし、下痢が一週間続きついに医者へ
その場で出た答えは薬を飲めば大丈夫
「それはないだろう」が直接言えなかったが本音だった。
別の医者も試したが結果は同じ
それでもおかしいと思い2ヶ所の医者で言われた共通点を思い出してみた
共通点として、「便の色はどんなものなのか?」
と言われたのを思い出した。
と言われても真っ赤だったらすぐわかるし
よくわからないから便の写真を持って再来院
先生に見せた瞬間
「病院へ紹介状書くからそれを持って明日病院行って」
みまとはその場でぼうぜんしたのを今も覚えている
翌日検査をしたら即入院という若くして入院経験をした
いま思えば毎回毎回が緊張感がある葬儀
1つたりとて手抜きは出来ない
そんなプレッシャーがストレスになってしまっていたのかもしれない
病気と入院生活の詳しい話は今後するかもしれない…
そして3年7ヶ月葬儀屋として働く
入院経験をして3ヶ月で職場復帰
最初は「仕事のミス連発しそうだな…」なんて考えていたが、そんなことは案外なくスムーズに仕事復帰をすることができた
もちろん自分ひとりではなく持病のことも理解しくれた仲間がに支えられたのが一番大きいと今も感じている
しかし、病気と二人三脚で日々ひたすら働き、3年7ヶ月葬儀の仕事に関わり退職する
持病の悪化や仕事関係のトラブルでなく、自分自身の人生をもっと楽しむために転職を考え実行にうつしての考えで決めた。
転職して適応障害になる
地元から離れ東京で一人暮らしを始める
引っ越しやら手続きなどで毎日忙しい日々が過ぎ、わくわくとふあんで迎えた仕事だったのだが
ここでも悪い意味で真面目が働いてしまう
何かというと、覚えることがたくさんあり気づかぬうちに自分自身を追い込んでしまったのだろう。
特に大変だったのは、限られた時間で「1000種類以上の商品名、品番、特徴を覚えないと行けない。」と思いが出てしまい、家に帰ってからも
いつもいその用紙は手に持ったまま、休みの日までずっと覚える時間に費やしていた、そうした中で過ごした3ヶ月は
自然と私の中の心を壊していったのだと思う。
仕事に行く前には必ず駅のトイレに駆け込み、個室で半泣きになりながら仕事に行き
単純な電話応対もできなくなり身体だけがその場にいったようになっていた。
私生活では、今まで普通にできていた掃除、洗濯ができなくなり、好きだったお風呂も入ることができなくなったのだ。
現在は?
今は、無事に社会復帰をして仕事をしている。
普段は会社員をしているかたわら、ここで低カフェイン専門のお茶を販売している。
人生に疲れたり、絶望したり、嫌になったときに、ここのお茶を飲むことで少しでも力になれるようなことができたら嬉しい。
2024年11月11日
Low Calm 店主
大野 貴義